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ロバート・ヒル マスタークラス

初来日のロバート・ヒル氏のマスタークラスに参加してきた。
場所は「聖グレゴリオの家」、初夏を思わせる昼下がりから開始。
非常に具体的かつさまざまなアイデアに満ちた練習方法が示され、たいへん参考になった。

ヒル先生が何度もおっしゃっていたのは、「単純化して構造をつかむ」
そして、単純化するに際しては、何通りもやってみるということ。
ほんとうに様々はアイデアを示してくださり、その工夫は音楽力になっていくということに大変感銘をうけた。

また、フラットな表現しか出来ないと言われるチェンバロ(ヒル先生曰く、最も困難な楽器)から、ピアノにまさるとも劣らない豊かな表現力引き出すためのには、「タッチとタイミングとアーティキュレーションが大事」、とくにタイミングを強調されていたことが印象的だった。

そして、「no fixed」
「ねばならない」を極力排除するのが、ヒル先生の最大の魅力であった。
アクセントがつくことを排除するために、あえて手首を用いた奏法も取り入れる。
聴衆の前であえて「危険」な演奏をしてみる。
この一見過激に見える演奏スタイルも、「構造をしっかり把握する」ということが基本にある点が、放縦な演奏と明らかに異なっている。


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J.S.バッハ:パルティータ6番 トッカータ

冒頭部の弾き方、練習の仕方を中心に。
・7連の音型は6連に変えてやる。どの音を外すかは様々試みてみる。
・さらに4音に減らして試みる。
・付点をとってやる。
・和音だけでやる。ダウン・アップをつける。
・リズム・カウントしながら、アッッチェランドしたり緩ませたりする。
・リズムカウントは機械的ではなく、「蛍が点滅するように、心臓の鼓動のように」
「全体を単純化して構造を明確にする」ことが大事。その上ではじめて「自由に演奏」できる。
「どれをとって単純にしていくかというところに知性を働かせる。それが音楽力となり、作曲家に近づく道である。」

同 アルマンド
・細かい音符はすべて8分音符ベースにして単純化する。
・上鍵盤で通奏低音パートを弾いて、「室内楽曲」として練習する。(通奏低音パートは最初は先生が弾き、次に交代してやる)
・通奏低音をつけるのは和声を把握する上でもたいへん重要。

「練習もパフォーマンスであることを忘れないように」
「つねに聴衆がいると思って練習しなさい」
「単純化したものを何回も練習しているうちにおのずと自由になってくる。」
「too much の練習をしておくこと」
「18世紀の音楽は no fixed である。」

ムファット:パッサカリア
・イネガルをどこでどのように入れるかよく考える。絶えず入れない。
・イネガルはフランス音楽だけとは限らない。
・弦楽アンサンブルのイメージを持って。
・ミュージカルのように「踊り、歌、語り」が混在している。

「チェンバロは決してフラットな楽器ではない。ダウン、アップ(軽重)をつけることでダイナミックな表現をすることができる。」
「チェンバロの場合、秒単位でchengeしなくてはならない。作曲家のアイデアによってchengeしていく。」
「バラバラにならないためにはタイミングが大事。それで聴く人に方向性を示す。」
「どのようにたたくか、どのように離すか。すべて考えぬいて弾かねばならない、もっとも困難な楽器。」

J.S.バッハ:トッカータ d-moll
・初期の作品は構成が分かりにくくて難しい。和声進行は分かりにくい。
・冒頭部は会話が分かるように弾く。
・両手で弾いて会話が分かるようにしてみる。
・オクターブでも弾いてみる。
・和声を弾いてみる。開始をいろいろな高さからやってみる。
・旋律を重視して弾いてみる。次に和声を重視して弾いてみる。
・ペダル・ポイントは大変重要。強調するくらいで。
・アッチェランドは「How much enough to do too much」(人前で危険をさらせ)

※ロバート・ヒル
1953年生まれのアメリカチェンバロおよびフォルテピアノ奏者。
1990年よりドイツのフライブルグ音楽大学で歴史的鍵盤楽器および室内楽演奏の教授。
アムステルダム音楽院でグスタフ・レオンハルトにチェンバロを学び、1974年にソリスト・ディプロマを取得。1987年にハーバード大学でバッハについての論文で博士号を修得。様々なコンクールで受賞。
wiki

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不滅なる和声の父

バッハを評したベートーヴェンのことば。

「名匠の手腕によるいかなる芸術形式の中でも、自由と確信をもって、たとえそれが鎖に繋がれていたとしても、動くということができるおそらく最高の規範であろう」(1805年に彼は「無伴奏」の初版譜を評して)

「音の組み合わせと和声とのあの無限の、汲み尽くしがたい豊かさのゆえに、彼は小川(バッハ) でなくして大海(メーア)と称すべきだ」

いちにちのうちひとつ

いちにちのうち、ひとつ
何かを愛してみようと思った。
今日は、先ほど降り始めた雨
に濡れたアスファルトの道の
黒くつややかな、
匂いたつような、
ふうけいを愛した。

雨は好きだ。
垢や埃をぬぐい去ってくれるから。
視界を曇らせてくれるから。
多くのものの目から私を遮ってくれるから。

雨は騒音をかき消し、
傘の中に人は心を閉ざす。

柔らかく優しい雨よ。
私は人を愛そうと思う。

フランスの舞曲

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1589年、ラングルの司祭がトワノ・アルボ名で出版した「オルケゾグラフィ」
ヨーロッパで初めてダンスの踊り方を説明した本。これのおかげで当時の踊りを再現できる。


カッチーニ「新しい音楽」

「拍なしで、あたかも響きの中で話すかのように…さりげなさを持って」

なぜ「読者へ」=演奏法が必要だったか

前回はインタヴォラテュラ(演奏譜)が専門家ではなく、アマチュアを念頭にしたものではなかったかということを書きましたが、「トッカータ集1」の序文に「読者へ」として、演奏法についての言及があるのも、フレスコバルディの曲を演奏したいというアマチュア演奏家の存在があったということが背景にあります。

初版の翌年に第2版が出版されたというのも、ジローラモさまの曲を弾いてみたいというファンが結構いたのではないかと想像できます。

ジローラモさまは即興の名手ですから、現代でいうと、キース・ジャレットやチック・コリアみたいだったのじゃないかと私は勝手に妄想しているのですが、たとえば、キースのケルン・コンサートの楽譜が出版されると、ファンは喜んで買ってまねして弾いてみるという、そんな感じ?

当たり前ですがキースは毎回おなじように弾くわけじゃないし、そもそもコードとモチーフくらいしか決めていないわけです。

おそらく、フレスコバルディも、今日はどの旋法でいくか、和声進行どうするか、くらいしか決めてなかったのではないかな。

で、「私の演奏スタイルを大変気に入ってくださったので出版いたします。」とマントヴァ公への献辞の中に書かれているわけです。

要するに、アマチュア演奏家のマントヴァ公およびファンのために出来るだけ、わかりやすい「インタヴォラテュラ(演奏譜)」で出版したという経緯だと思われます。
しかし、、即興のスタイルは音符だけでは表すことができず、どうしても言葉での説明が必要だったということであるようです。

では、具体的にどのような演奏指示をしているかは次回述べます。

スカルラッティ「チェンバロのための練習曲」

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ドメニコ・スカルラッティは唯一冊,「チェンバロのための練習曲(Essercizi per gravicembalo)」を出版したが,それはアストリア皇太子に献呈され,1738 年あるいは 1739 年初頭にロンドンで出版された。

「読者よ.貴方が素人であろうと専門家であろうと,これらの作品の中に深遠な学問を期待するのではなく,むしろ貴方をハープシコードの練達へと導く才気にあふれた芸術の戯れを期待するように.」

と作曲者自らが記している。

ドメニコ・スカルラッティの楽譜

555曲(558曲)の「ソナタ」は後半生、ポルトガル王女マリア=バルバラ(後にスペイン王妃)の教育目的で作曲された。
作品番号は「K」(カークパトリック)、または「L」(ロンゴ)で表されるが、「L」は現在では使われていない。

作品番号対応表
対応参照

日本の主な原点版楽譜
原典版楽譜

ヴェネツィア写本
ヴェネツィア写本
ベネツィア写本


ドメニコ・スカルラッティ

Domenico Scarlatti, 1685年10月26日 - 1757年7月23日
イタリアのナポリで生まれ、スペインのマドリードで没した。

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・1685年に10人兄弟の6番目の子としてナポリに生まれる。
・1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者となる。
  ※あるときローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競いあったという逸話が伝わっている。
・1720年または1721年にリスボンに行きマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教える。
・1729年にマリア・バルバラがスペイン王家に嫁いだため、マドリードへ行く。ドメニコは25年ほどスペインに滞在し、5人の子どもをもうけた。
・1757年にマドリードで没す。

スカルラッティの森

フランソワ・クープランの作品

フランソワ・クープラン(クプラン、François Couperin,1668年11月10日 パリ - 1733年9月11日 同地)

第1巻 (1713年):オルドル第1番から第5番まで
第2巻 (1717年):オルドル第6番から第12番まで
第3巻 (1722年):オルドル第13番から第19番まで
第4巻 (1728年):オルドル第20番から第27番まで

『クラヴサン奏法論』(1716年)8つの前奏曲と1つのアルマンドを含む

組曲集《諸国の人々~3声合奏のソナタと組曲Les Nations - Sonades et suites de simphonies en trio 》(1726年出版)
フランス人La Française(トリオ・ソナタ「少女」にもとづく)
スペイン人L'Espagnole(トリオ・ソナタ「幻影」にもとづく)
神聖ローマ帝国の人々L'Impériale
ピエモンテ人La Piémontaise(トリオ・ソナタ「アストレ」にもとづく)

トリオ・ソナタ«Apothéoses» (1724年)
パルナッスス山もしくはコレッリ賛Le Parnasse ou l'apothéose de Corelli
比類なきリュリ氏の追憶を讃えるためのコンセールConcert en forme d'apothéose à la mémoire de l'incomparable M. de Lully

王宮のコンセールConcerts Royaux (1714年)
コンセール第1番~第4番

趣味の融合、または新しいコンセール Les Goûts réunis ou Nouveaux Concerts (1724年)
コンセール第5番~第14番
コンセール第8番《劇場風》Huitième concert "Dans le goût théatral"
コンセール第9番《アモーレ(愛神)の肖像》Neuvième concert, intitule ritratto dell'Amore

ヴィオール曲集Pièces de violes(2つの組曲、1728年)

Appendix

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reijin

Author:reijin
楽を奏し、言祝ぐ人でありたいが、今は朽ち葉になっている。
twitterをやっているのは、妹の姫。

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